山主会議

 五大山が一峰 兜率山とそつさん──

 石段を上がると、檜皮ひわだ葺きの大きな山門が現れる。扁額には『兜率とそつ』と大書され、浮彫の柱もあのころから何も変わっていない。
 ふうっとひとつ息をつくと、六花は門をくぐった。
「吉野! 吉野山主! ただいま〜!」
 いつも通り、大きな声で師妹しまいをよぶ。他の山に比べて、どこかゆるいような空気。六花にとっては、帰ってきた、という感覚だ。
 五大山はその名の通り、地理的には五つの峰を抱く山脈である。参詣道が山地をゆるやかに縫い留め、各山の主要な伽藍をつなぐ。
 そして、それぞれの峰には、『山主さんしゅ』と呼ばれる主がひとり。
 教義も修行も、山によって大きく色を変える。──六花の困ったおひとよしも、この兜率山で長く過ごしたせいかもしれない。

 ややあって、その『山主』が姿を現した。
 薄墨の長い髪を優美に束ね、桜色の袈裟も折り目正しい。優しげな目元は、変わらぬ懐かしさをまとっていた。

「吉野!」

「おかえりなさい、師姉しじぇ。少し痩せたのじゃない? ちゃんと食べてるの?」

 そう言いながら、吉野は六花を先導して回廊を歩き始める。来客でもあったのか、よそ行きの香が鼻先をくすぐった。


「吉野こそ元気だった? 山主の仕事、なんとかなってる?」

「師姉に心配されずとも」

「あたしも、もりもり食べてるよ!」

 軽口を叩いて、姉妹弟子は笑いあう。そこに、ばたばたと大あわてで駆けつけてくる人影があった。

「おかあさま~っ! おかあさま、大変! 瑠璃光るりこう山主がもういらっしゃったわ!」

 吉野に似た薄墨の髪に、子猫のような丸い瞳。芙蓉だ。

「とりあえず、客殿の玄関にお通ししたけれど……あ、六花! 帰ってきてたんですのね!」

 はぁはぁと息を切らしていた芙蓉が、六花の姿に気づく。とたんに、ぱぁっと表情が明るくなった。今にも「師伯、遊びましょう!」と言い出しそうだ。

「芙蓉、何回も言っているけど、走ったら危ないわよ。大事な体なんだから、怪我でもしたらどうするの」

「吉野、お客さんが来てるの? この間の禁域の件で、ちょっと話したかったんだけど……」

 吉野のいつもの過保護を受け流しつつ、六花は首を傾げた。どうも、表玄関のほうが騒がしいような気もする。

「ええ、午後から山主会議なのよ。せっかく帰ってきてくれたのに、ごめんなさいね」

「山主会議! こっちこそ、変なときに帰ってきちゃってごめん。忙しいでしょ、あたしも手伝うよ!」

「ええ、でも……」

 山主会議の場は、五峰に離れてくらす山主同士が顔を合わせられる貴重な機会だ。彼女らをもてなすとなると、姉妹弟子でおしゃべりしている時間はとてもないだろう。
 迷っている様子の吉野に、芙蓉が畳み掛ける。

「あたくし、六花が一緒にいたら安心ですわ! 手伝ってもらいましょうよ、おかあさま! ね、ね!」

 しかたがない、という顔で、うなずく吉野。

「あたしが言うことじゃないけど、吉野もたいがい甘いんじゃない?」

 芙蓉は喜色満面で、六花に飛びついた。


 山主伽藍は、そもそも装飾が多い。
 礼拝の場であり、外部の豪商や賓客をもてなすこともあるので当たり前ではある。しかし、六花に言わせれば趣味が悪かった。
 その中でも最もましなのが、今回の山主会議の舞台となる大広間だろう。
 二十畳ほどの広間には青あおと畳が敷かれ、山主伽藍の中ではめずらしく、簡素な書院造ふうになっている。装飾品があるのも床の間ぐらいだ。

「壮観だねぇ」

「うちの大広間って、こんなに人が入るんですわね……」

 ふすまの隙間からそっと様子をうかがう、六花と芙蓉。手にはお茶出しのお盆をもったままだ。
 山主会議といっても、集まるのは五名の山主だけではない。それぞれの腹心や後継ぎ、関係者……それに、各地を治める別当も合わせれば、計三十人近くになる。ふすまの向こうには、みっしりと黒い法衣がひしめいていた。

「一番奥が、最初にいらっしゃった瑠璃光るりこう山主ですわ。両脇は、補佐の日光法師と月光がっこう法師」

 芙蓉が指差して教えてくれる。
 瑠璃光山は医術に優れた山で、山主もかつて医師として巷間を渡り歩いていたという。老いて盲いた彼女の脇では、背の高い法師がふたり、あれこれと世話を焼いていた。

「その隣が代替わりしたっていう、極楽ごくらく山主?」

「ぽいですわね」

 極楽山が一番大勢の弟子を引き連れている。歌舞音曲を得意とする門派だけあって、かなりのにぎやかさだ。
 山主を継いだばかりの彼女は三十代半ばぐらいだろうか。快活な笑顔と、金糸を織り込んだ豪奢な袈裟がまぶしい。

 その様子をひとりでじっと見ているのは、どこか陰のある女性。誰とも言葉を交わさないということは、彼女が密厳みつごん山主だろう、と六花はあたりをつけた。
 密厳山主は、というより、密厳山の門弟は、秘密主義であまり山の外に出ない。下手をすれば他山では、彼女らの顔を見ないまま一生を終えるものもいるのではないだろうか。

「よく考えたらあたくし、密厳山の方々とお話したことってないかもしれませんわ」

 芙蓉も同じことを考えたようで、ひそひそ話しかけてくる。
 六花もうなずいた。山主たちをぐるっと見回して、吉野に視線を戻す。

「ね、吉野って、こうやって並ぶとちょっとかっこいいね」

「あたくしのおかあさまですもの、当然ですわ!」

 兜率とそつ山の代表たる吉野は凛と顔を上げて、下座で静かに打座していた。
 かたわらに控えるのは、あまり見かけたことのない尼僧。その右目は眼帯に覆われ、下からは焼けただれた痕がのぞく。
 よく見ると、左手には武骨な革のゆがけも嵌められていた。弓でも引くのか、鷹狩りでもするのか──

「ねぇ芙蓉、あの人って……」

 芙蓉に話しかけようとした瞬間、水を打ったように会場が静まり返った。六花もあわてて口をつぐむ。
 目線だけ上げると、ふたりの反対側、上座のふすまがするすると音もなく開かれるのが見えた。

「待たせたな」

 衣擦れの音とともに現れたのは、骨ばった長身の老女。
 しかし、その眼光は鷹のように鋭く、身のこなしも矍鑠かくしゃくとしている。
 彼女こそが、瑠璃光、極楽、密厳、兜率の四峰を束ねる、掌門の山主──

「お久しゅうございます、霊鷲りょうじゅ山主」

 密厳山主が初めて言葉を発した。と同時に、山主たちとその取り巻きがばっと頭を下げる。『威光』とか『威厳』という言葉を固めたような気配に、六花と芙蓉もふすまの影でとっさに頭を垂れた。

「面をあげよ」

 しわがれた声が一同の鼓膜を揺らす。

────この人、何歳ぐらいなんだろう……?

 板張りの床からこっそり見上げる六花。
 霊鷲山は、『仙権』の取得者が最も多いといわれている。山そのものが選んだ僧侶だけが振るえる、奇跡の権能──もしかして、その力で長生きを……?

 思考に沈みこみかけたその時、吉野の柔らかい声が響いた。

「それでは、みなさまお集まりですので、山主会議を始めさせていただきます」

「吉野。その前に、私からひとつ諸君の意見を聞きたいことがある」

 手を上げて吉野の議事進行を止めたのは、威厳の塊──霊鷲山主だ。兜率山主が小さくうなずくのを見て、喋りだす。

「怪異災害による禁域指定の件、ならびに幽冥地府との今後の関係について、諸君の意見を伺いたい。各山、別当はどう思う」

 低い声だが、まるで音が増幅しているかのようによく通る。『幽冥地府』という言葉が聞こえて、六花は思わずふすまに張りついた。

「あー、その件ね!」

 一番に口を開いたのは、極楽山主だ。

「ウチらはもうさっさとカタをつけちゃいたいわけ。だいたい、禁域指定って中途半端じゃない? まとめてやっちゃったほうが効率いいと思うけど」

 その言葉に、極楽山の門弟もそうだそうだとうなずく。
 密厳山主がたしなめるように口を開いた。

「口に出す言葉は慎重に選ぶべきだ、鸞嬰らんえい。……古書に曰く、鏡を割っては、見えるものも見えなくなる」

 その言葉はあくまで冷静だが、真意が測りづらい。

「ねぇ芙蓉、これってなんの話?」

 傍らの芙蓉にこっそり聞いてみるが、芙蓉も首をかしげるばかりだ。
 すると、下座で吉野が手を挙げているのが見えた。

「兜率山からも申し上げます」

 自然、六花と芙蓉の視線も吉野のほうに吸い寄せられる。
 吉野は控えめに、しかし山主らしい威厳を持ったまま言い切った。

「今回の禁域指定はほんの氷山の一角。このような幽冥地府の行いを許せば禁域は増え続け、民は居場所を失うでしょう。犠牲もやむなしと考えます」

「だよねぇ、吉野。さっさと潰しちゃおう。こっちには戦慣れした僧兵もいっぱいいるんだ、負けるわけないよ」

 極楽山主のその言葉に、思わず六花は茶盆を取り落とす。彼女らの議論を、今やっと理解できた。

 つまり、この山主会議の主題は──『幽冥地府といくさを交えるかどうか』なのだろう。
 禁域指定、疎開、はかったような時期の山主会議。
 頭に、皐月の顔が浮かぶ。握りしめた手に、ぎゅっと力が入った。

────勝手だ。皐月のことも幽冥地府のことも、何も知らないだろうに。

 六花はゆっくりと手を開いて、ふすまに伸ばす。

────そんな人たちになんて思われようと、構うもんか。

 そして、大きく息を吸って吐くと──すぱん、と開け放った。

「お待ちください!」

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