いっせいに、五峰の山主と取り巻きの視線が集まる。
それもそうだろう。山主会議の最中に、招かれてすらいない一般の尼僧が口を挟むなど、前代未聞だ。
「……きみ、誰?」
極楽山主は不審げな顔。
その他の山主も、どこの山のものとも知れない闖入者に困惑している。ただひとりを除いては。
「師姉、落ち着いて。山主会議の場よ」
声の主は吉野だ。なんとか六花をなだめようと、焦りを曖昧な笑みで覆っている。
続ければ、妹弟子が嫌がることはわかっていた。それでも、胸にこみあげるものはもう、押し戻せない。
「いくさ、と簡単におっしゃいますが。その相手の顔を見たことがある方は、どのぐらいいらっしゃるか」
お互いの顔を見合う山主たち。それは質問の答えを探り合っているようにも、六花を止める役割を押し付けあっているようにも見える。
六花は呼吸を落ち着けると、居住まいをただした。
「……直言の無礼をお許しください。わたくしは、兜率山の六花といいます。この前まで、禁域からの疎開を手伝っておりました」
取り巻きたちがざわざわし始める。
当然だろう、ここにいるのは五大山の上澄みも上澄みだ。禁域指定はすれども、自ら庶民の引っ越しを手伝ってやる理由も、必要もない。
向けられる視線からは、なぜそんな下層のものが山主会議に、という困惑が見てとれた。
「疎開の途中、たまたま幽冥地府の関係者と知り合い、情報を得ました。現在、向こうでは怪異の行方不明事件が相次ぎ、対応に追われているとのこと」
特に極楽山の取り巻きのひそひそ声がうるさい。六花は内心、顔をしかめた。
「わたくしも、この手で実際に行方不明者と思われる怪異を追い、とらえて引き渡しました。ですから……」
「関係者? いったい誰だ、申してみよ」
遮ったのは、霊鷲山主だ。平坦な声音で、彼女が何を考えているのかは読み取りづらい。
ほかの山主たちも、掌門の言葉に下っ端がなんと答えるのか、と、好奇のまなざしを向けている。
しばしためらって、六花は口を開いた。
何も、隠す必要はないはずだ。
「閻魔王──」
ざわっと、大広間の空気がうねった。
「当代の閻魔王、奈落、と名乗っておりました」
否、うねったのではない。みな、自分の耳を疑って、周囲のものと顔を見合わせたのだ。
「六花、嘘でしょう……!」
斜め後ろからも声がする。目線を向けるまでもなく、芙蓉だ。あんなに注意したのに、という憤りが、ひしひしと伝わってくる。
ごめん、と芙蓉に心の中で謝りながら、六花は言葉をつづけた。
「ですから、おそらくこの怪異災害は、幽冥地府の意図ではないはずです。むしろ、五大山は全山をあげて協力し、行方不明者の捜索にあたるべきかと」
しん、と、大広間が静まり返った。
その沈黙を、とん、とんと軽く畳を叩く音が破る。いらいらしたような音の源は、吉野の隣──隻眼の尼僧だ。
六花は、彼女の顔を始めて正面から見る。
焼けただれたあとがのぞく、隻眼──怜悧な輪郭をしているはずのその顔は、傷跡と、隠しようのない悪意にどこか歪んで見えた。
「六花法師といったな。誰が、そんなたわごとを信じるんだ」
冷ややかな声。
この場にいる、自分以外の全員の代弁だろう、と、六花は変に冷静に思った。
「わたくしは、誓って嘘は言っておりません」
六花も、引き下がるつもりはない。その態度に、隻眼の尼僧もちっと舌打ちをする。
「六花、静、お願い。山主がたの前よ!」
吉野が悲痛な顔をして振り向く。
「信じろって、証拠も何もないだろう。閻魔王がそんな簡単に内情を明かすものかよ」
「静、やめてちょうだい……!」
悲鳴のような吉野の声を無視して、静は嘲笑うように吐き捨てた。
「お前。奈落とやらに篭絡されて、間諜になったんじゃないだろうな」
明らかに馬鹿にした言い草に、六花の頭にもかぁっと血がのぼる。
畳をつかんで立ち上がりかけたとき、その過熱した空気に冷水をかけたものがあった。
「──瑠璃光山は、六花法師のおっしゃることに賛同する」
一番後ろでことの成り行きを見守っていた、瑠璃光山主だ。盲目の尼僧は、ちらりと極楽山主を見やると、穏やかに口を開いた。
「ことの真偽はともかく、いくさはあくまで対症療法にすぎないだろう。間違った処方は、炎症を悪化させるだけだ」
その言葉に、静はばつが悪そうに顔を逸らす。
あからさまに機嫌が悪くなったのは、極楽山主・鸞嬰だ。
「……瑠璃光山ってほんとカタいよね! 空影師姉もそう思うでしょ!?」
「密厳山も、瑠璃光山と同意見だ」
鸞嬰は密厳山主に同意を求めるが、すげなく拒絶される。極楽山の弟子たちは、山主を取り囲んでなんとか剣呑な雰囲気を収めようと必死だ。
そこに、低く重みのある声が響いた。
「鸞嬰」
霊鷲山主がそう呼んだとたん、極楽山主はとたんにしゅんとおとなしくなる。
下の名前で呼び合っているところからすると、極楽山主・鸞嬰と密厳山主・空影はもともと同門なのだろう。
そして、その師こそが霊鷲山主。力関係が見てとれた。
「この件を判断するには、まだ情報が足りないと思ったが、どうだ?」
不服さを全身で表しながらも、かろうじてうなずく鸞嬰。
「山主会議は以上とする。次回の日程は追って申し伝える」
泣きそうな顔のままの吉野に代わって、霊鷲山主が散会を告げる。そのままふすまを押し開き、ためらいもなく退室していった。
威厳の塊のような霊鷲山主が出ていくと、張りつめていた空気がとたんにゆるむ。
お互いの山について情報交換するもの、ここぞとばかりに他山の主に取り入ろうとするもの、そして、兜率山のおかしな行者の陰口をたたくもの……大広間は、会議前のにぎやかさを取り戻している。
思ったより、発言するのに緊張したらしい。
山主たちが帰り支度を始めても、六花はしばらくへたりこんだまま動けなかった。
「もう! 六花、あたくしびっくりしましたのよ! とんでもないことを言い出すんですから!」
芙蓉は、腰に手を当ててぷりぷり怒っている。
「……どう思う? 芙蓉も、いくさをした方がいいと思う?」
「そんなの、よくわからないですわ。でも、おかあさまが良いことだって言うなら、そうじゃないのかしら?」
母から与えられるものをなにも疑っていない、無垢そのものの表情。
六花は、目の前が少し暗くなったような気がした。
「それより六花、おかあさまが見当たりませんの。あたくしたちでお片付けしなきゃなりませんわ!」
結局、夜になっても吉野は僧房(僧侶が寝泊まりするところ)に帰ってこなかった。
六花もなんとなく眠れず、褥のうえで寝返りばかり打っている。懐かしいはずの寝具すら、なんだか肌になじまないような気がした。
────幽冥地府と、いくさ。
五大山の僧兵が精強な集団であることぐらい、六花も知っている。
さきの幕府が滅んだときも、実力によって山と徒弟を守れたのは、彼女たちの力があってこそだ。
────皐月たちとぶつかったら、たくさんの人が傷つくことになる。
霊鷲山主がああ言うということは、僧兵の差し向け方も、戦い方も、おそらく考えてあるのだろう。──六花が皐月に手を引かれて歩いた、あの隠し通路ですらも。
まぶたを閉じれば、鮮烈に光景が浮かんでくる。
比良坂社の裏を抜けて、橋のたもとになだれこむ僧兵の群れ。彼女たちの、山の栄誉がかかったときの執念はすさまじい。なにをしてでも橋をわたって、その先のものを壊そうとするだろう。
閻魔殿が炎に包まれ、皐月の白い手が六花の同胞の血に染まる。私掠はきっと、周りの村々をも壊すに違いない──禁域指定の、比ではなく。
あまりに生々しく、手触りすら伴う想像に、六花は叫び出したいような気持ちになる。
寝返りを打つうちに、いつしか意識が遠のいていたらしい。
鶏鳴で目を覚ましたものの、六花のまぶたは重く、なかなか上がらない。ぼんやりしていると、ごぉんと鐘が鳴った。
六回鳴るのは、酉の刻(朝六時)──兜率山の門弟たちは、もうぞろぞろと食堂に向かっている頃だろう。
遅れれば、朝食にはありつけない。六花も寝ぐせ頭をかきまわしながら、無理やり体を起こした。
食堂は、相変わらずちょっと建物がぼろい。ちょうど吉野もやってきたところのようで、六花をみとめてふらふらと寄ってきた。その垂れ目の下には、白い肌に似合わない隈がうっすらと浮かんでいる。
「六花、きのうは取り乱してごめんなさい」
吉野はうつむいて、その表情はうかがえない。ふたりはならんで、典膳から粥の入った椀を受け取った。
山主伽藍を例外に、五大山では清貧をよしとする。朝食も、顔が映るほど薄い粥一杯が一人前の割り当てだ。
徒弟でごった返す食堂に、ふたりはどうにか席を見つけ、腰を下ろした。
「……吉野は、いくさをするべきだって、思ってる?」
椀に手をかけたまま、六花は言った。
吉野はやっと六花のほうを向いて、幼子にするように諭す。
「六花、気持ちは理解するわ。でも、情だけではどうにもならないことが、この世にはあるの」
吉野はふうっとため息をついた。幼いころと違って、その顔には大人らしい、あきらめや疲れの色が見える。
「わたくしは兜率山主として、現世の安全を守らなければならないのよ。どうか、わかってちょうだい」
六花はうなずけなかった。
水のような粥のおもてにうつる、ゆがんだ自分の顔をじっと見つめる。
「……うん。わかってるよ、吉野」
笑ったつもりだったが、声はかすれていた。ひといきに粥を流し込み、箸をおく。
────わかってる。山主の立場を背負えば、なおさら。
五大山とは、そういう場所だ。
もとから味の薄い粥だが、きょうはことさら、水のように薄く感じた。
────皐月も、吉野も、誰も傷つかなくていい。あたしがそれを証明する。「いくさなんてしなくていい」って。
食堂を出て、石段を駆け降りながら、六花は念話をとばす。
〔ねぇ、皐月! 聞こえる?〕